2011年1月13日木曜日

Winter Travel 6, Mendeltna to Anchorage  

   キャビン 60ドルという安さはよかったが、、、

Mendeltnaのガソリンの値段はとても高かった
Mendeltnaは雪に雲に覆われて真っ白だ。ハイウエーは既に除雪されていたのでなんとか運転することができた。地元の人だろうか?古いトラックが後ろから凄いスピードで迫ってくる。すぐにウインカーを出し、車を路肩へ寄せ、後ろの車を先へ行かせた。アラスカは飲酒運転や危ない運転をする人がかなり多い。だからこういうときはすぐに道を譲ることにしている。自分がしっかりしていても、相手から突っ込んでくることがあるからだ。アラスカに住んで5年くらい経つが、長く住んでいる人に良く言われる事がある。ムース(ヘラジカという大きな鹿の種)に気をつけて運転しなさい。そして、酔っぱらいやクレイジーな運転をする人に気をつけなさいと。アンカレッジみたいな都会は分からないが、アラスカの田舎で一番多い犯罪は、自動車保険未加入での運転、飲酒運転であろう。

 出発して間もなく、ガソリンスタンドに立ち寄った。ここにはEureka Lodgeという古いロッジがある。1930年代頃ホームステッド*で、この地にやって来てロッジを始めたのだそうだ。当然周りに住んでいる人などいるわけもなく、もちろん電気など何もなかった頃で、当時の生活は大変なことだったと思う。ここの孫娘さん(と言っても年配の女性だ)がキーナイに住んでおり以前話を聞いたことがあった。

レストランで朝食をとり、ロッジで働いている男と世間話をした。レストランのシェフに出会い、アラスカンらしい風貌をしていたので、是非写真を撮らせてくれと頼み込み、写真を撮らせてもらった。
現在のオーナーの友人でレストランを手伝っているのだそうだ。きっとこの辺りに長く住んでいるのであろう。

レストランのシェフ 

  めちゃくちゃフレンドリーな親父 レストラン、ガススタンド、お土産屋と忙しそうにしていたが、いつも笑顔だった

Eureka lodgeを後にした。

雪は降り続き景色は見えないに等しかった

グレイシャービューという街にさしかかった。その名の通りハイウエーから氷河が見える。今の時期は雪で覆われていてよく見ることはできないが、氷河の先端と思われるところはうっすらとグレイシャーブルーの色が確認出来た。その後所々で写真を撮りながら、ゆっくりとアンカレッジへ向かった。

   Matanuska River 


カヤはどんなに寒くてもいつもこんな感じだ


                        青い空が見えるようになって来た

Mendeltnaから Anchorageまで240キロの道のり。

今日は、アンカレッジの知人宅に泊まらさせて頂くことにした。アンカレッジから、キーナイ半島の家まで3時間くらいかかるのと、夜の運転に疲れていたという理由からである。


アンカレッジはもうすぐだ

夕暮れ時にアンカレッジに到着した。クリスティーナがアンカレッジの街並を写真に撮りたいと以前から言っていたので、アンカレッジのダウンタウンに行ってみた。普段、田舎に住んでいる僕らにとってアンカレッジは大都会だ。夜になると真っ暗になる田舎とは違い、ネオンが輝く街並に人々が歩いて行く。そんなごく普通の風景を見て、まるで映画のようだと1人で感動しながら写真を撮った。アンカレッジの街、写真に撮りたいところが沢山ある。時間のあるとき、昼間に撮影しようと言うことになり、今晩の宿へと向かった。

Merrill Field, Anchorage, AK

Anchorage, AK

Anchorage, AK


   Anchorage, AK


この旅も後残すところアンカレッジから自宅のキーナイ半島までになった。長いようであっという間に過ぎて行った時間はかけがえのいないものだった。この冬の嵐で、特に美しい景色を見たわけでもなく、アウトドアを楽しんだわけでもなかった。旅先で出会った人々と会話し、楽しい時間を過ごし、のんびりとクリスティーナ、カヤと一緒に過ごす時間を大切にした旅だった。こう言う旅もなかなか面白いものだと思った。旅には色々なスタイルがある。何が良い悪いではなく、自分が納得出来ればよいのである。写真を沢山撮りたかったのだが、あいにくの悪天候と長時間のドライブで思ったほどの数は撮れなかったが良しとしよう。

明日家にたどり着くまで気は抜けない。走り慣れたキナイの山中のドライブも気をつけないといけない。後一日だ、がんばろう。知人宅に到着後、美味しい食事を頂き、楽しい時間を過ごし、眠りについた。

つづく
*ホームステッド 1970年代くらいまでアラスカの僻地では、その地に定住するという条件で土地をただで住民に提供していた。規模も大きいものが多く、未だに多くの住民はその頃の土地を引き継いでいる。もちろんその当時は電気など何もなく、ビジネスも皆無であったと思われる。今現在でも、僻地の方でホームステッドはあるという話を聞いたが、まだ調べていないのではっきりとは分からない。

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