2011年1月28日金曜日

ちょっと一息。

 最近あまり写真を撮る機会がなく、残念に思っていたので今日はちょっと工夫して裏庭で撮影してみた。ちょっと工夫するだけで、なかなかいい写真が撮れるのだなと1人で納得。



















大切なのはイマジネーション!パッション!行動力!

2011年1月26日水曜日

Love Story 1, Ninilchik Dream

ニューヨークからアラスカに犬と猫を連れてやってきてもう5年がたとうとしている。最初の一年はアンカレッジに住み、日本人の知り合いも多く、楽しく暮らしていた。アンカレッジは都会で、僕にはニューヨークと何ら変わりがない印象をもっていた。そうこうしているうちに、知り合いから今の仕事場を紹介してもらい、田舎に引っ越して来た。アラスカの自然の中で暮らしてみたいといつも夢見ていたからだ。しかしここは田舎と言っても、意外に便利なところで暮らしやすいところだ。アラスカにはもっと大自然と共に生きている人たちは沢山いる。僕もいつかそういう暮らしをしてみたいと思っている。

この街は白人の街でウエスタンの文化。日本人はほとんど住んでいないところだ。一人暮らしのよそ者が住むのには少しきついところだ。人はコンサバティブな人が多く、よそ者は受け付けない。よそ者がバーなどに行けば絡まれすぐにケンカになる。受け入れてもらうのは大変だ。



すべての人がみんなそういうわけではない。そんな中にも良い人は沢山いる。でも本当に仲良くなってもらうのは大変な事だ。こんな街で暮らしていると彼女を作るのも大変で、いつも相棒のカヤを連れて1人でハイキングやキャンプを楽しんでいた。
車で一時間ばかり行ったところに、Ninilchikという小さな漁師町がある。Ninilchikとは、ネイティブの言葉でKissingという意味だそうだ。素敵な街の名前だ。この小さな漁師町のビーチが好きで良く海を見に行っていた。いつも1人で寂しく美しい夕日を見ながら、いつかこのビーチを恋人と歩いてみたいもんだ、と思っていた。


昨日そのNinilchikのビーチを歩いて来た。





2011年1月24日月曜日

Fire wood

  いつも夏の終わり頃から冬が来る前にひと冬分の薪を用意するのだが、今シーズンは色々あって準備する事ができなかった。まあ、何とかなるだろうと軽い気持ちでこの冬を迎えた。




 
 今年の冬前半は例年より冷え込み雪も多く、この冬は寒いね、と地元の人たちと良く話していた。途中気温が上がり積もっていた雪が溶けだしたりもしたが、最近はとても冷え込んでいた。この辺りはアラスカの中でも南に位置していているのでそれほど寒い地域ではないのだけれど、厳冬期にはマイナス30度以下になる。ここに住み始めてから、経験した最低気温はマイナス40度くらいだったろうか?
 
 冬至も過ぎ、日ものびて来て冬も中盤にさしかかって来たところなのだが、とうとう薪を切り出さなくてはいけない状態になってしまった。しかし現在冬まっただ中で、一年で一番寒い時期だ。一月、二月はとても寒い。今年はまだそれほどでもないが、寒いときはマイナス35度以下の日が2、3週間は続く。
 
 何もこんなときに薪がなくらなくても良いのにな、なんて思っても、なくなってしまったら薪を切り出すしかない。一応ガスヒーターはあるのだけどガス代がとても高くつくので、ガスヒーターはバックアップに使い、冬の暖房は薪ストーブをメインにしている。



 先日薪を切り出すために作業をした。ラッキーな事にそのときはそれほど気温は寒くなかった。マイナス20度くらいだったろうか?と言ってもこっちは空気が乾燥しているので日本のような底冷えする寒さとはひと味違うのだ。

  






 チェーンソウで木を薪の長さに揃えて切り出し、それをキャビンまで運び、斧で薪を割るという作業。チェーンソウは結構な重さで、僕の力では長時間作業し続ける事ができない。だからたまに一息入れて作業を続けて行く。




大きな倒木の枝を切り落とし30センチくらいの長さに揃えて切り出して行く。この厳冬期は木も固く凍っているのでなかなか切る事ができない。作業を始める前に、チャーンソウの歯を研いだのにも関わらず、てこずらされた。時間も普段の倍くらいかかってしまっていた。




今日はこれくらいにしておこうとチャーンソウのエンジンを切り、大きくため息をついた。



 
 切り出した薪をキャビンまで運ばなくてはいけない。大した距離ではないが、雪の状態が悪く一輪車がなかなかうまく操れない。大量に運ぶ事ができず、少しずつ何回にも分けて運んだ。


 そりやスノーマシーンがあれば楽に薪を運べるのだが

 さあ、運び終わったら薪割りだ。薪割りはなかなか面白い。精神を統一して狙いを定め一気に斧を振りかざす。スパッと割れたときは気持ちがいい。しかし大きなのは一度で割れないときがある。斧も3種類くらいあり、割れないときは一番重くて大きいのを使う。それでも割れないときもある。そういうときはまた別のテクニックを使って割る。大きい薪から小さな薪まで数種類の大きさに割り分ける。そういう作業もなかなか楽しい作業だ。


 これくらいの大きさになるとこのサイズの斧で割る事は難しい

        ヒゲが凍ってるw


 カヤはポーチで作業が終わるのを待っている

 薪割りが終わりそうになった頃すでに日は暮れかかっていた。

 割った薪をキャビンのポーチに運び奇麗に薪を並べた。これで1ヶ月くらいはもつだろうか?しかし薪は凍り付いているので一度家の中で乾燥させてから使う事にしている。乾いた薪は勢い良く燃えるのですぐに燃えてしまう。湿っている薪は燃えにくく、ゆっくりと燃えるので色々組み合わせて燃やしている。


 今回の薪ではこの冬を越す事はできない。また数週間後には薪割りだ。
この辺りでは、この時期にこんな事をしている人はあまりいない。冬にチェーンソウの音を聞く事はほとんどない。

終わり


2011年1月17日月曜日

Winter travel 7, Anchorage to Sterling





さあ、今日は旅の最終日。アンカレッジで1泊させて頂き、帰途につく準備は万全だ。アラスカの小さな街に住んでいる僕らにとって豪勢な朝食(和食)を頂き、日本食好きなクリスティーナは大喜びだった。お昼過ぎまでのんびりさせて頂き、アンカレッジで買い物をした。

買い物に時間をとられ、日は暮れて行った。結局アンカレッジの街を出たのは日が沈んだ後だった。

買い物を終えアンカレッジを出発

アンカレッジを出て、ターナゲンアームを海沿いに走った。海岸沿いなのでハイウエーはカーブの連続で冬場は特に危険だ。ここは夏でも事故が繁盛におこるエリアなのでゆっくりと進んだ。

40分くらい経っただろうか?暗闇の中、遠くに銀色に明るく輝く山の斜面が見えて来た。ガードウッドのナイタースキー場の灯りだ。灯りが見えてくるとなぜだか少し落ち着いた気分になれる。 ガードウッドはスキーリゾートとして有名な街だ。そして若いヒッピー達がアメリカ中からやってくる。70年代の写真の中から出て来たような年老いた素敵なヒッピー達も良く見かけることができる。音楽も盛んなところで様々なバンドがこの街でプレイする。そんな素敵な街がここアラスカにもある。

ガードウッドのスキー場に近づいてきた

クリスティーナが夜のガードウッドの街をちょっとドライブしてみたいというので、ガードウッドに立ち寄った。街と言っても、人口2000人くらいの小さな街だ。夜のガードウッドの街の写真を撮りながら、レストランやカフェをチェックした。

ヒッピーらしき地元民が犬と戯れていた


犬のオーナーの車、絶対にヒッピーだw


暗闇のターナゲンアームを走り終わると、次はキーナイの山の中のドライブが待っている。山を上ってしばらく行くと、ターナゲンパスと呼ばれる峠がある。ここは冬バックカントリースキー、スノボー(バックカントリー)、クロスカントリースキー、スノーマシーン等、ウインタースポーツのメッカだ。夏には色とりどりの花が咲き乱れとても美しい場所だ。今日ここでオーロラが見れればラッキーだと思っていたが、今回見る事はできなかった。 その代わりと言っては何だが、ターナゲンパスから見える北斗七星の写真を撮る事にした。山の向こうからは先ほど通り過ぎて来たガードウッドの町灯りが夜空にうっすらと色を添えていた。しかし外は寒かったので撮影を早めに切り上げて家路を急いだ。

ターナゲンパス

30分くらい進んだであろうか?クリスティーナが、携帯がない、もしかしたらターナゲンパスで落としたかもしれないなどと、とんでもない事を言い出した。車の中を探してみたが見当たらない。仕方なくターナゲンパスまで戻る事にした、30分くらいドライブしてターナゲンパスまで戻ってみた。辺りを探してみたが携帯はみつからなかった。

キナイの山々を越えてクーパーランディングという街に来た。小さな街だが携帯が通じるので、もう一つの携帯から発信してみた、するとゴミくずを入れていたプラスティックバッグの中から携帯の発信音が聞こえて来た。携帯はみつかった。

クーパーランディングは僕らにとって庭のようなところだ。キーナイレイクが見えて来た。まだ少し距離は残っているけどここまでくると、あ~帰って来た~と安心する。

キーナイの山から降りて来た。真っ直ぐなハイウエーを走り続け、野生動物保護区を通り過ぎ、ハイウエーから自宅へと続く道を左折した。カヤは家に帰って来た事が分かったようだ。自分で窓を開け匂いを嗅ぎ、しっぽをぐるんぐるんと回しながら喜んでいる。まだ2マイルくらいあるのだけど、自分の住んでいるところの匂いが分かるようだ。

我が家へ続く緩やかな坂をゆっくりと下った。無事に家に辿り着きこのウインタートラベルは終わった。時計は既に午前一時を回っていた。




*トータル走行距離 約2500キロ

<この旅を終えて>
冬の嵐の中の旅は緊張感があり、ある意味スリルがあり楽しかったです。雪が降りどんよりと曇り、深い霧に覆われ凍った道を車で移動しているとこの車の中に僕らだけの世界があり旅をしていると強く感じました。写真が思ったほど撮れなかったけれども、良い勉強になりました。クリスティーナのもとで写真の勉強をして、もっと良い写真が撮れるように頑張りたいです。これからもTaiyaki Mediaをよろしくお願いします。



2011年1月13日木曜日

Winter Travel 6, Mendeltna to Anchorage  

   キャビン 60ドルという安さはよかったが、、、

Mendeltnaのガソリンの値段はとても高かった
Mendeltnaは雪に雲に覆われて真っ白だ。ハイウエーは既に除雪されていたのでなんとか運転することができた。地元の人だろうか?古いトラックが後ろから凄いスピードで迫ってくる。すぐにウインカーを出し、車を路肩へ寄せ、後ろの車を先へ行かせた。アラスカは飲酒運転や危ない運転をする人がかなり多い。だからこういうときはすぐに道を譲ることにしている。自分がしっかりしていても、相手から突っ込んでくることがあるからだ。アラスカに住んで5年くらい経つが、長く住んでいる人に良く言われる事がある。ムース(ヘラジカという大きな鹿の種)に気をつけて運転しなさい。そして、酔っぱらいやクレイジーな運転をする人に気をつけなさいと。アンカレッジみたいな都会は分からないが、アラスカの田舎で一番多い犯罪は、自動車保険未加入での運転、飲酒運転であろう。

 出発して間もなく、ガソリンスタンドに立ち寄った。ここにはEureka Lodgeという古いロッジがある。1930年代頃ホームステッド*で、この地にやって来てロッジを始めたのだそうだ。当然周りに住んでいる人などいるわけもなく、もちろん電気など何もなかった頃で、当時の生活は大変なことだったと思う。ここの孫娘さん(と言っても年配の女性だ)がキーナイに住んでおり以前話を聞いたことがあった。

レストランで朝食をとり、ロッジで働いている男と世間話をした。レストランのシェフに出会い、アラスカンらしい風貌をしていたので、是非写真を撮らせてくれと頼み込み、写真を撮らせてもらった。
現在のオーナーの友人でレストランを手伝っているのだそうだ。きっとこの辺りに長く住んでいるのであろう。

レストランのシェフ 

  めちゃくちゃフレンドリーな親父 レストラン、ガススタンド、お土産屋と忙しそうにしていたが、いつも笑顔だった

Eureka lodgeを後にした。

雪は降り続き景色は見えないに等しかった

グレイシャービューという街にさしかかった。その名の通りハイウエーから氷河が見える。今の時期は雪で覆われていてよく見ることはできないが、氷河の先端と思われるところはうっすらとグレイシャーブルーの色が確認出来た。その後所々で写真を撮りながら、ゆっくりとアンカレッジへ向かった。

   Matanuska River 


カヤはどんなに寒くてもいつもこんな感じだ


                        青い空が見えるようになって来た

Mendeltnaから Anchorageまで240キロの道のり。

今日は、アンカレッジの知人宅に泊まらさせて頂くことにした。アンカレッジから、キーナイ半島の家まで3時間くらいかかるのと、夜の運転に疲れていたという理由からである。


アンカレッジはもうすぐだ

夕暮れ時にアンカレッジに到着した。クリスティーナがアンカレッジの街並を写真に撮りたいと以前から言っていたので、アンカレッジのダウンタウンに行ってみた。普段、田舎に住んでいる僕らにとってアンカレッジは大都会だ。夜になると真っ暗になる田舎とは違い、ネオンが輝く街並に人々が歩いて行く。そんなごく普通の風景を見て、まるで映画のようだと1人で感動しながら写真を撮った。アンカレッジの街、写真に撮りたいところが沢山ある。時間のあるとき、昼間に撮影しようと言うことになり、今晩の宿へと向かった。

Merrill Field, Anchorage, AK

Anchorage, AK

Anchorage, AK


   Anchorage, AK


この旅も後残すところアンカレッジから自宅のキーナイ半島までになった。長いようであっという間に過ぎて行った時間はかけがえのいないものだった。この冬の嵐で、特に美しい景色を見たわけでもなく、アウトドアを楽しんだわけでもなかった。旅先で出会った人々と会話し、楽しい時間を過ごし、のんびりとクリスティーナ、カヤと一緒に過ごす時間を大切にした旅だった。こう言う旅もなかなか面白いものだと思った。旅には色々なスタイルがある。何が良い悪いではなく、自分が納得出来ればよいのである。写真を沢山撮りたかったのだが、あいにくの悪天候と長時間のドライブで思ったほどの数は撮れなかったが良しとしよう。

明日家にたどり着くまで気は抜けない。走り慣れたキナイの山中のドライブも気をつけないといけない。後一日だ、がんばろう。知人宅に到着後、美味しい食事を頂き、楽しい時間を過ごし、眠りについた。

つづく
*ホームステッド 1970年代くらいまでアラスカの僻地では、その地に定住するという条件で土地をただで住民に提供していた。規模も大きいものが多く、未だに多くの住民はその頃の土地を引き継いでいる。もちろんその当時は電気など何もなく、ビジネスも皆無であったと思われる。今現在でも、僻地の方でホームステッドはあるという話を聞いたが、まだ調べていないのではっきりとは分からない。

2011年1月7日金曜日

Winter Travel 5, Tok to Mendeltna  

朝目覚め、カヤと外に出てみた。今日は快晴だ。嵐の後は美しい。昨日までのウインターストームが嘘のように思えた。出発する前に今日の宿をネットで探し、予約を入れた。犬も泊まれるキャビンだそうだ。とりあえず他の宿に比べると安かった。宿の心配もなくなりTokの街を後にした。今日のドライバーはクリスティーナだ。Mendeltnaまで約270キロ!

Snow Shoe Motel, Tok



    何処から来たのだろう?4ウイーラーに乗って買い物にきた親父 Tokのメインンスト   リートで



フォードの古い車を見かけ写真を撮らせてもらった 



古い車の中はシンプルでかっこいい!



ガソリンの値段は日本の半分くらいだろうか?



Tokの街を後にした


  所々に景色の良いところがあったので、車を止めては撮影に精を出した。天気はよかったが寒かった。マイナス20度くらいだったろうか?クリスティーナは寒いと言ってさっさと撮影をやめ車に戻ってしまった。



Tok Riverの近くで


キーンと張りつめる空気の中、太陽の光は眩しかった




 この先の山中に小さな街があるはずだ。まずはその街を目指した。
トイレに行きたかったのだ。

街の名前は、Mentasta、ネイティブの村がハイウエーから少し入ったところにある。
Mentastaに到着しスタンドのネイティブの親父と話し込む。なかなか興味深い小さな街だ。調べてみたが、はっきりとした人口は分からなかった、おそらく100人くらいの小さな街。山の天気は変わりやすく、辺りは雲に覆われ雪がちらついていた。


    写真撮らせてくれと頼むと、ポーズを決めて微動たりしないネイティブの親父

この街に電話が引かれたのが3年くらい前のことだそうで、電気もその頃に入って来たらしい。電気が来る前はジェネレーターを使って自家発電をしていたそうだ。店を出るときに親父はカリブーに気をつけろ!今の時期はカリブーの群れがハイウエーを良く横切るんだ、と教えてくれた。カリブーとはトナカイのこと。

確かにハイウエー沿いには沢山のカリブーの足跡をみかけた。途中、凍った湖の上を群れになって移動するカリブー達を遠くから見ることができた。でも、かなり遠くで豆粒のようにしか見えなかった。

遠くにカリブーを見ながら地元の親父と立ち話をした

ランゲルマウンテンが見えて来た。日も暮れて来て中々いい感じだ。
このペースだと、宿につくのは遅くなりそうだ。結局いつも予定より遅くなってしまう。
日が暮れてしまうと景色も見えないのでただドライブするだけになってしまう。



     夕暮れ



    


Glennallenという街にさしかかった。この街はこの辺りでは比較的大きな街で、スーパーやお土産屋さんなどもある。でも今はシーズンオフだからやっている店は少ない。
この辺りのハイウエーはとても美しいところなのだが、真っ暗で雪も降り始め何も見えない。Mendeltnaの宿を目指すだけだ。

今宵の宿は、Mendeltnaという街の、ハイウエー沿いにあるMendeltna LodgeMendeltna  Lodgeについた頃、雪は本格的に降り始めていた。チェックインすると、あなた達は向こうのキャビンを使って、と言われキャビンに行くと、暖房がまだついていなくてとても寒かった。あるのは、小さなガスストーブが一台とベッド。ロッジの女将が来てくれてガスストーブに火が入った。しかし、なかなか部屋は暖まらなかった。車から防寒用のブランケットを持ち込み、クリスティーナとカヤと共にブランケットに潜り込んだ。ドアの隙間から凍り付いた空気が入り込んでくるからとても寒い。今日ここで一夜をすごすことができるのだろうかと不安になり、トイレ、歯磨きのついでに、メインロッジでくつろいでいるアンカレッジからやって来たというレズビアンらしき女性二人に聞いてみた。君たちの部屋は寒くないのか?すると彼女達はストーブがすぐに暖めてくれるわよと言った。半信半疑でキャビンに戻った。クリスティーナは寒さにこごえ、疲れ、ブランケットに潜り込んだ。

その夜は寒くてなかなか寝付けなかった。どれくらい経ってからだろう、途中暑くて目が覚めた。サウナのような暑さで寝られる状態ではなかった。ストーブがききすぎている、さっきの寒さは何処へやら。部屋の温度を下げようと思ってつまみを回すが壊れていて使えない。ドアを開け、空気の入れ替えをし部屋の温度を下げまた寝るが、すぐに暑くなってしまい寝るどころではなくなってしまった。その時、固定されているように見えた窓が開けられそうなことに気づいた。内側の窓枠を外し、窓を開けることができた。ようやく気持ちよく寝ることができるようになった。

朝起きて歯磨き、トイレ、お湯をもらいにメインロッジへ行った。ロッジの親父に、ここの暖房はいったいどうなってるんだ?と聞いたら、妻が調節の仕方教えなかったのか?と。
実は温度調節が出来たらしいのだが、今更もうどうでも良いことだった。早々とMendeltna Logdeを後にした。

昨日から積もった雪が15センチくらいだろうか?ゆっくりとアンカレッジへ向かうことにした。

つづく