2011年2月23日水曜日

Beginning of Our Love Story, Going to Sweden

 あれは2009年の12月の事だった。休日の夜、ニコラスケイジ主演のインド夜想曲という映画を見ていた。途中休憩しメイルをチェックしていたら、インドの女性からメッセージが届いていた。ワールドフレンドという世界中に友達を作ろう!というソーシャルネットワークからだった。

 その当時彼女のいない僕は、インターネットでの出会いを求めてワールドフレンドに参加していた。その後メールをやり取りして、スカイプで話すようになった。お互いに意気投合し、その3週間後にはお互いの家族をスカイプで紹介しあっていた。年末年始にちょうど僕は日本へ帰っていたのだった。

 1990年の12月に僕は日本からニューヨークへ夢を抱いて旅立った。しかし、当初の予定とは全く違う方向に僕の人生は向かって行っていた。

 同じ頃にクリスティーナは写真の勉強をするため、ニューヨークのICPというレベルの高い学校へ通い写真の勉強をしていた。卒業後フリーランスで写真の仕事をしながら、ニューヨークに住んでいた。

 彼女はグリニッジビレッジに住んでいた。僕の仕事場は彼女のアパートとは目と鼻の先で、彼女は何度かその店に足を運んでいたそうだ。当時僕らは同じ街に住み、同じ道を歩いていた。もちろんその頃僕らはお互いにあった事もなく、知る由もなかった。

 それから15年くらい経った頃、僕は病気になり、離婚し、健康保険未加入だったために全てを失った。マンハッタンからブルックリンに引っ越し新しいアパートを借りた。カリビアンのコミュニティーエリアだった。全てを失い、ゼロからのスタートだったが、小さな希望を抱いていた。そう、今まで夢描いていたアラスカへの移住を考えていたからだ。

 一年間、節約して出来るだけお金を貯めた。たいした額ではなかったが、アパートを借りて中古の車を買うくらいのお金はたまった。周りからは計画性がないと、反対もされた。が、僕が自分の人生の中で一番長く住み、慣れ親しんだニューヨークに別れを告げる決心をした。自分の心に正直に問いただし、心の赴くままに生きて行こうと。

新しい人生の最初の一歩を踏み出す事になった。最初の一歩を踏み出す前の不安は希望へと変わり、次第に膨らんで行った。決めてしまえば後は流れに任せるだけだった。偶然だろうか?僕の旅立つ日は新月の日であった。

 その少し前にクリスティーナはニューヨークから新しい地を求めてインド、ボンベイに引っ越した。知り合いもいなく、仕事のコネもなく、不安だらけだっただが、全てはうまく行っていた。仕事も沢山こなし、沢山の知り合いも出来、すっかりインドに溶け込んでいた。

 僕らはインターネットで出会い、その3ヶ月後にクリスティーナは住み慣れたインドを引き上げ、アラスカにやって来た。沢山の荷物が船便で届いた。家財道具一式をインドから送って来たのであった。まだ実際に会った事もないのに。。。

 その1ヶ月後僕たちは日本へ向かった。桜の花が奇麗な時期だった。彼女を僕の両親に紹介し、これから将来二人でともに歩いて行く事を報告したのだった。両親はこんな僕たちを受け入れてくれた。

 その年の秋に僕は1人でスエーデンへ向かった。彼女の家族に会いに行くためだった。

写真を撮ったり、本を読んだり、映画を見たり 時間つぶし

アムステルダムの空港で

つづく

2011年2月18日金曜日

散歩日和に

 最近は太陽も高く昇り、日照時間も長くなって来て、春を感じさせる日々が続いている。
しかし、気温はまだまだ低く肌寒い。春はまだ遠い。

日の出は今日現在、午前8時34分。日の入り、午後6時。

いつもカヤと散歩するコースで写真を撮ってみた。


カヤも年をとったもんだ。全てのものはとどまる事がなく移り変わって行く。
僕らの生きているこの時代もその通過点に過ぎないのであろう。
いったい僕らは何処へ向かって行くんだろう?


こんなに天気のいい日にも、森の中には薄暗いところもある。
そこに差す一筋の光が美しい。
その光を見失わないようしっかりと見据えていないと暗闇に吸い込まれてしまう。
きっとどんな所にも希望の光は射しているものなのだろう。



光と陰、それが全てで、僕たちの生きている世界は全てが相対している。


光には陰が必要で、陰には光が必要だと言う事。これはこの宇宙の法則ではなかろうか?





2011年2月9日水曜日

Ice Fishing

 アイスフィッシングへ行って来た。気温はマイナス25度くらいだったろうか。日の出前に知人と湖で待ち合わせして、湖の上を車でゆっくりと釣り場へ向かった。

 釣り場につくとまずは氷に穴をあけなくてはならない。氷の厚さはかなり厚い。
昔は手動でやっていたようだが最近はエンジン付きの機械で簡単に穴があけられるようになった。と言っても機会は結構な重さがある。

 先日他の湖で、手動で氷に穴を開けているネイティブの親子を見かけた。未だに機械を使わない人もいるようだ。





 釣り人5人で5~6個の穴を開けた。まずは小さなエビを餌にして、レイクトラウトの餌にするコッコニーと呼ばれる湖に住む紅鮭の仲間を釣る。日本で言うヒメマスであろう。なかなか当たりがなかったが、知人がいきなりレイクトラウトをつり上げた。日本でいうイワナの仲間だ。サイズは大きく30センチ近くあった。






 その後自分の竿にも当たりが来て釣り上げた。小さなコッコニーだった。



コッコニーの頭を丸ごと、それとおなかの脂ののったところを餌にする。
しかしその後当たりはなく、他の釣り場へ移動することに。車が湖の上を走ると、氷がゴ~ンとうなり声をあげる。その音はあまりにも不吉でその音に慣れていないものを不安にさせるが、何回も聞いていると次第に慣れてくるのであった。と言っても心地よいものではない音だ。





 釣り場をかえてもなかなか釣れず、寒さしのぎで車の中で休憩。暖まってからまた釣りをという繰り返しで、時間はあっという間に過ぎて行った。そろそろ帰ろうかという時間に、たて続けに二人が大きなレイクトラウトを釣り上げた。



 これでみんなにレイクトラウトが行き渡った。僕は自分で釣ったコッコニーも頂いた。湖の魚は早めに頂くのが良い。凍らせて保存するとかなり味が落ちるのですぐに食べてしまうのだ。この日の夕食はコッコニーのフライ、レイクトラウトはパン粉やナッツ系をまぶしてフライパンでクックした。食べ比べてみたらコッコニーの方が美味しいという結論になった。コッコニーの身はオレンジ色をしていて味もサーモンに近かった。コッコニーならいくらでも食べられそうだ。次は是非コッコニーを沢山釣り上げたいものだ。


 しかしアラスカの人々はこんなに寒いのに良く釣りにでかけるものだ。色々な意味でそのクレイジーさ(ワイルドと言った方が良いだろうか?)にはいつも驚かされる。そう、ここアラスカにはクレイジーな奴らが、(おっといけない)とてもワイルドな奴らが沢山住んでいるのだ。ワイルドすぎる奴らも多いのだが。。。。。

2011年2月3日木曜日

Tustumena 200


 先日地元で行われた犬ぞりレースのスタートを見に行ってきた。スタート前の犬達と、マッシャー*やハンドラー*達とのふれあいを写真にとれればと思い撮影に向かった。



 アラスカでは昔から犬ぞりが交通の手段として使われていた。今ではスノーマシーンなどの普及のせいで数はかなり減っているが競技としては続いている。が色々問題もあるようだ。
 
 アラスカには道路から4、5キロ離れた森の中に住んでいるような人も多い。もちろん車は入って行く事はできず、交通手段は歩き、4ウィーラー、犬ぞり、スノーマシーン、カヌー等に限られる。知り合いにそう人が何人かいる。その人は以前スノーマシーンを使っていたのだけど、途中で故障やトラブルがあると、命に関わる時があるので今では信頼性の高い犬ぞりを使っている。





 今日は競技の犬ぞりだが、犬達、マッシャーがゴールを目指して1つになって走って行く姿が美しい。犬達の吐く息づかい、マッシャーのかけ声、そりが滑る音、それら全てが1つになるのだ。初めて見たときには感動し、鳥肌が立ったのを今でも良く覚えている。







 スタート前の犬達はレースを待ち望み興奮が抑えられないようだった。ある犬はジャンプし、ある犬は吠えた。スタートすると犬達は真剣に走る。ただ、ただ走るのだ。走るために生まれて来て、チームとして走れる喜びを噛み締め精一杯走っている。その姿は本当に美しかった。





*マッシャー 犬ぞり使い
*ハンドラー お手伝い もしくは 助手