2011年6月16日木曜日

Salmon Fishing with Friends

先日、ネイティブの知人が『来週フィッシングに行くけど一緒に来る?』というので、『じゃあ、その前に確認の電話入れるね。』と言葉を交わして別れたのが先週の週末だった。今週末はなにげに忙しく、携帯を充電する時間もないまま様々な仕事に追われていた。『あ~フィッシングの確認の電話しないとな~』と思いつつも充電されていない携帯では連絡する事も出来ずただ忙しさに追われていた。日曜の朝、なにげに目覚めふと思い出したのだ、今日はフィッシングに行く日だったと。

家族の大黒柱のお父さん。子供はお父さんの背中を見て育つ。w こんなお父さんだけどここの子供は素晴らしい。お父さんに対して、yes, sirと嫌な顔を少しも見せずてきぱきと行動する。ネイティブの奥さんは家族にリーダーは1人の方が良いのよと旦那さんの一歩後をついてくるような素敵な女性だ。



急いでTide Book を確認してみたら今日の満潮は午後2時過ぎだった。『あ、まだみんな家にいるかも?』と電話してみたら連絡がつきキーナイのビーチで待ち合わせる事になった。時は日曜日の午前10時過ぎのことだった。

この辺りのネイティブの人々はセットネットと言われる漁法でサーモンを捕る。一言にネイティブと言っても沢山の種族から成り立っている。僕らの住んでいる地元のネイティブ達はアサバスカンインディアン族に含まれるキナイッチインディアンというトライブだ。セットネット、いわゆる定置網のようなもので、海岸近くにあらかじめ全てがセットアップされている。鮭は川に入る前海岸近くを泳いで川に向かうためだ。満潮になる前にそこに網を仕掛けて川に向かう鮭を網で一網打尽にしようというもくろみだ。
    途中でおばあちゃんとその息子が登場 

おばあちゃんは1940年代にアラスカにやって来たそうだ。日本軍がアリューシャン列島に攻めて来て、それを防ぐために旦那さんがアラスカに配属されたのだそう。



しかし網を仕掛けてしまった後はこれと言ってする事も無く、散歩したり、ホットドッグを食べたり、マシュマロを焼いたりと時間をつぶすのだ。だが、一つだけ気をつけなければいけない事がある。それはラッコだ。網にかかった鮭をラッコが奪いにくるからだ。ラッコが網に近づくと、厳戒態勢?笑 に入る。弾の入っていない火薬だけの銃を撃ち、音で威嚇するのだ。銃を撃つと驚いたラッコは海に潜り逃げて行く。獲物を奪おうとするラッコと守ろうとする人間の戦いだ。今回は1匹も奪われる事無く漁を終える事が出来たと思うが、さすがラッコだ、普段は沢山かじられたり、獲物を奪われるのである。
    この姉妹がネイティブの血を引いている。最近は白人等とのミックスのネイティブも街では多い


スリングショットでラッコを狙う。左に見えるのがブイとセットした網


火の番をしている次男坊


ネイティブのアーティストの知人は海岸付近から植物の根っこを集めて来て
それらを巧みに折りこみ様々なものを作り出す。今回は食器を洗うスポンジ?もしくはお風呂の時のアカスリになるようなものを作っていた。彼女は『おばあさんから教えてもらったの。』と。(と言っても今日来ているおばあちゃんではないもう1人のおばあちゃんからだそう。) 




網から鮭を取るのはなかなか大変な作業だ。 左の若者はシーズンいっぱいここで働く。彼もネイティブの血を引く。

                             ネイティブの奥さんと里帰りでアトランタからやって来た。奥さんは(友人の妹さん)
寒いのが嫌で南に移住してしまった。日本に行く方が方がアラスカに来るより安いぞとぼやいていた。w



今の時期はサーモン漁には少し早い。今回はおそらく20匹くらいしか穫れなかったであろう。(去年は78匹。ひと家族80匹まで。)僕は自分のグリーンハウスを仕上げたくて漁を途中で抜け出して家に向かった。

久しぶりに友人達と楽しいひとときを共にした。
相棒のクリスティーナはスエーデンに一時帰国しているのだが、インドで仕事が入り数日前にインドに入ったところだ。そういう事もあって、最近1人で忙しくしていたのでいい気分転換になった。

アラスカの夏は忙しいのである。

PS 昨年の漁の写真が見れます。3枚目から7枚目までが昨年のもようです。
     http://www.lightstalkers.org/galleries/slideshow/26645

2011年5月28日土曜日

最近のいろいろ



しばらくブログ更新してませんでしたが、これからぼちぼち再開して行こうと思っています。          
とりあえず今日は最近撮った写真を載せてみます。                              


デナリナショナルパーク手前で夕日を見ながら休憩中に。こんなところで携帯が通じるんです。知りませんでした。


           今日の寝床はデナリナショナルパークの駐車場で車中泊

                               フェアバンクスからの帰りにネナナという小さな街に寄ってみたらこんな標識が。



ネナナの街で70年代?のワーゲンのトラックを見かけ、一緒に写真撮らせてくれ!と頼むと嬉しそうに写真を撮らせてくれたアラスカン。この街に住んでいると言う。


マッキンリーを南側から見る公園で。4月の頭だったけどまだ雪が深くて先へ進む事が出来なかった。


デナリナショナルパーク。公園がオープンする前は30マイルのところまで自分の車で行く事が出来る。今回見れた野生 動物はカラスとライチョウだけだった。残念。地元の方が色々見れるではないかと、、、。


湖の氷もようやく解けカヤもスイミングが出来る季節になった! Watson Lake AK ( Kenai National Wildlife Refuge)


  久しぶりに写真を撮るチャンスがあったので近所の湖まで飛ばして夕日?を撮影。Watson Lake, AK


                             この日は風が強く向こう岸にあった氷がこちらまで風で流されて来ていた。
                             家の近所はそれほどでもなかったが、湖は氷と風の影響でとても寒かった。
                                                       Watson Lake, AK



2011年3月31日木曜日

Gislaved, Sweden, Oct 5 2010

シアトルで飛行機を乗り換えアムステルダムへ向かった。アムステルダムでユーロ圏に入る為入国審査が行われていた。彼女の実家の住所を聞き忘れていて、もし滞在先を聞かれたらどうしようと、焦っていたが何も聞かれずにオランダに入国する事が出来た。

アムステルダムで3時間くらい時間があったのでwi-fiを利用しようと支払いを済ませ、iphoneでSkypeをしようと思ったがうまく使えなかった。同じように困っている若者がいた。彼はMacBookを使っていた。お互いに努力はしてみたもの、結局使えず諦めることにした。その時となりに座っていたケニアから来ているというビジネスマンと、ドイツから来ているアメリカ人の軍人さんを夫にもつ女性達と世間話をしていたら時間はあっという間に過ぎて行った。
アムステルダム、ガッテンバーグ(スエーデンで2番目に大きい街)間は一時間くらいのフライトだ。フライトは疲れもあったが、あっという間にスエーデン、ガッテンバーグに到着した。(ガッテンバーグとは、英語の呼び名で、日本語ではヨーデポリ)
飛行場にはクリスティーナと家族が迎えに来てくれていた。クリスティーナに会うのも5ヶ月ぶりくらいだった。彼女は5月の終わりにスエーデンへ帰っていた。

初めてお会いする家族に挨拶をし、これからの予定を聞いた。今日は飛行場からの帰り道にある、古い貴族のお城を見て彼女の実家、Gislavedという南スエーデンの小さな街へ向かうとのことだった。

初めてのスエーデン。今までスエーデンに来る事など一度も想像した事などなかった。何か縁があったのかなと?思う気持ちと、不思議な気持ちで人生とは何処で何がおこるか分からないものだと、1人で納得。

長いフライトで疲れていたことと、時差ボケがかさなり、意識はもうろうとしていた。そんな僕を皆は気遣ってくれたので、気楽な気持ちでドライブを楽しむことが出来た。

ガッテンバーグから一時間くらい走っただろうか、高速を降りしばらくすると辺りは農場地帯へと変わって行った。スエーデンの田舎の典型的な家並みと農場がのどかな雰囲気を醸し出していた。写真を撮ろうと試みたが、なかなかうまく撮れず、諦めた。疲れすぎていた。笑


ふと気づいたら、一本道の両側には何の木であろうか?大きな木々が道の両側に奇麗にそろって遠くまで続いていた。ここはすでに昔の貴族の敷地なのであった。
遠くに湖が見えて来た。ようやくお城に近づいて来たようだった。



パーキングに車を止めお城を見学して湖畔でランチを食べた。敷地は広大であったが、お城と呼ばれるものはそれほど大きくはなかった。



イースラビアの彼女の実家に到着し、のんびりと過ごしていたが、今夜、スピードウエイと言われるスエーデンで人気のあるモトクロスバイクのレースが地元で行われるので、見に行かないか?と誘われた。地元のチームが優勝をかけて今年最後のレースに臨むのだそうだ。疲れてはいたが面白そうなので見に行く事にした。

レースの前にごちそうを頂いた。サンドイッチケーキと呼ばれる(smörgåstårta)ケーキのようなサンドイッチであった。お腹もいっぱいになり、レースに行く前に少し仮眠した。



レースは相手チームが調子よく、地元チームは苦戦していた。このゲームで勝たないとシーズンの優勝は出来ない。相手チームも優勝がかかった大切なゲームで、応援団も遠くの街から沢山の人が訪れていた。







   (Vetlanda Elit  勝利に沸く相手チームのサポーター。 )

残念ながら、レースは相手チームの勝利で終わった。初めての観戦だったけれどもなかなか楽しい時間を過ごす事が出来た。この辺りではスピードウエイくらいしか盛り上がるもようしものがないらしく、街の住民の半分以上の人がこのレースに繰り出すのだそうだ。次回訪れるときにも、また足を運びたいと思った。

スピードウエイの競技場を後に

   スピードウエイの帰り道 パーキングまでのトレイル 


つかれと寝不足、時差ボケで、意識もうろうとしていたが無事に初日が終わった。
明日の予定は彼女の家族のサマーハウスへ。夜はRefteleという小さな街の歴史博物館に行く予定だ。

つづく

2011年2月23日水曜日

Beginning of Our Love Story, Going to Sweden

 あれは2009年の12月の事だった。休日の夜、ニコラスケイジ主演のインド夜想曲という映画を見ていた。途中休憩しメイルをチェックしていたら、インドの女性からメッセージが届いていた。ワールドフレンドという世界中に友達を作ろう!というソーシャルネットワークからだった。

 その当時彼女のいない僕は、インターネットでの出会いを求めてワールドフレンドに参加していた。その後メールをやり取りして、スカイプで話すようになった。お互いに意気投合し、その3週間後にはお互いの家族をスカイプで紹介しあっていた。年末年始にちょうど僕は日本へ帰っていたのだった。

 1990年の12月に僕は日本からニューヨークへ夢を抱いて旅立った。しかし、当初の予定とは全く違う方向に僕の人生は向かって行っていた。

 同じ頃にクリスティーナは写真の勉強をするため、ニューヨークのICPというレベルの高い学校へ通い写真の勉強をしていた。卒業後フリーランスで写真の仕事をしながら、ニューヨークに住んでいた。

 彼女はグリニッジビレッジに住んでいた。僕の仕事場は彼女のアパートとは目と鼻の先で、彼女は何度かその店に足を運んでいたそうだ。当時僕らは同じ街に住み、同じ道を歩いていた。もちろんその頃僕らはお互いにあった事もなく、知る由もなかった。

 それから15年くらい経った頃、僕は病気になり、離婚し、健康保険未加入だったために全てを失った。マンハッタンからブルックリンに引っ越し新しいアパートを借りた。カリビアンのコミュニティーエリアだった。全てを失い、ゼロからのスタートだったが、小さな希望を抱いていた。そう、今まで夢描いていたアラスカへの移住を考えていたからだ。

 一年間、節約して出来るだけお金を貯めた。たいした額ではなかったが、アパートを借りて中古の車を買うくらいのお金はたまった。周りからは計画性がないと、反対もされた。が、僕が自分の人生の中で一番長く住み、慣れ親しんだニューヨークに別れを告げる決心をした。自分の心に正直に問いただし、心の赴くままに生きて行こうと。

新しい人生の最初の一歩を踏み出す事になった。最初の一歩を踏み出す前の不安は希望へと変わり、次第に膨らんで行った。決めてしまえば後は流れに任せるだけだった。偶然だろうか?僕の旅立つ日は新月の日であった。

 その少し前にクリスティーナはニューヨークから新しい地を求めてインド、ボンベイに引っ越した。知り合いもいなく、仕事のコネもなく、不安だらけだっただが、全てはうまく行っていた。仕事も沢山こなし、沢山の知り合いも出来、すっかりインドに溶け込んでいた。

 僕らはインターネットで出会い、その3ヶ月後にクリスティーナは住み慣れたインドを引き上げ、アラスカにやって来た。沢山の荷物が船便で届いた。家財道具一式をインドから送って来たのであった。まだ実際に会った事もないのに。。。

 その1ヶ月後僕たちは日本へ向かった。桜の花が奇麗な時期だった。彼女を僕の両親に紹介し、これから将来二人でともに歩いて行く事を報告したのだった。両親はこんな僕たちを受け入れてくれた。

 その年の秋に僕は1人でスエーデンへ向かった。彼女の家族に会いに行くためだった。

写真を撮ったり、本を読んだり、映画を見たり 時間つぶし

アムステルダムの空港で

つづく

2011年2月18日金曜日

散歩日和に

 最近は太陽も高く昇り、日照時間も長くなって来て、春を感じさせる日々が続いている。
しかし、気温はまだまだ低く肌寒い。春はまだ遠い。

日の出は今日現在、午前8時34分。日の入り、午後6時。

いつもカヤと散歩するコースで写真を撮ってみた。


カヤも年をとったもんだ。全てのものはとどまる事がなく移り変わって行く。
僕らの生きているこの時代もその通過点に過ぎないのであろう。
いったい僕らは何処へ向かって行くんだろう?


こんなに天気のいい日にも、森の中には薄暗いところもある。
そこに差す一筋の光が美しい。
その光を見失わないようしっかりと見据えていないと暗闇に吸い込まれてしまう。
きっとどんな所にも希望の光は射しているものなのだろう。



光と陰、それが全てで、僕たちの生きている世界は全てが相対している。


光には陰が必要で、陰には光が必要だと言う事。これはこの宇宙の法則ではなかろうか?





2011年2月9日水曜日

Ice Fishing

 アイスフィッシングへ行って来た。気温はマイナス25度くらいだったろうか。日の出前に知人と湖で待ち合わせして、湖の上を車でゆっくりと釣り場へ向かった。

 釣り場につくとまずは氷に穴をあけなくてはならない。氷の厚さはかなり厚い。
昔は手動でやっていたようだが最近はエンジン付きの機械で簡単に穴があけられるようになった。と言っても機会は結構な重さがある。

 先日他の湖で、手動で氷に穴を開けているネイティブの親子を見かけた。未だに機械を使わない人もいるようだ。





 釣り人5人で5~6個の穴を開けた。まずは小さなエビを餌にして、レイクトラウトの餌にするコッコニーと呼ばれる湖に住む紅鮭の仲間を釣る。日本で言うヒメマスであろう。なかなか当たりがなかったが、知人がいきなりレイクトラウトをつり上げた。日本でいうイワナの仲間だ。サイズは大きく30センチ近くあった。






 その後自分の竿にも当たりが来て釣り上げた。小さなコッコニーだった。



コッコニーの頭を丸ごと、それとおなかの脂ののったところを餌にする。
しかしその後当たりはなく、他の釣り場へ移動することに。車が湖の上を走ると、氷がゴ~ンとうなり声をあげる。その音はあまりにも不吉でその音に慣れていないものを不安にさせるが、何回も聞いていると次第に慣れてくるのであった。と言っても心地よいものではない音だ。





 釣り場をかえてもなかなか釣れず、寒さしのぎで車の中で休憩。暖まってからまた釣りをという繰り返しで、時間はあっという間に過ぎて行った。そろそろ帰ろうかという時間に、たて続けに二人が大きなレイクトラウトを釣り上げた。



 これでみんなにレイクトラウトが行き渡った。僕は自分で釣ったコッコニーも頂いた。湖の魚は早めに頂くのが良い。凍らせて保存するとかなり味が落ちるのですぐに食べてしまうのだ。この日の夕食はコッコニーのフライ、レイクトラウトはパン粉やナッツ系をまぶしてフライパンでクックした。食べ比べてみたらコッコニーの方が美味しいという結論になった。コッコニーの身はオレンジ色をしていて味もサーモンに近かった。コッコニーならいくらでも食べられそうだ。次は是非コッコニーを沢山釣り上げたいものだ。


 しかしアラスカの人々はこんなに寒いのに良く釣りにでかけるものだ。色々な意味でそのクレイジーさ(ワイルドと言った方が良いだろうか?)にはいつも驚かされる。そう、ここアラスカにはクレイジーな奴らが、(おっといけない)とてもワイルドな奴らが沢山住んでいるのだ。ワイルドすぎる奴らも多いのだが。。。。。

2011年2月3日木曜日

Tustumena 200


 先日地元で行われた犬ぞりレースのスタートを見に行ってきた。スタート前の犬達と、マッシャー*やハンドラー*達とのふれあいを写真にとれればと思い撮影に向かった。



 アラスカでは昔から犬ぞりが交通の手段として使われていた。今ではスノーマシーンなどの普及のせいで数はかなり減っているが競技としては続いている。が色々問題もあるようだ。
 
 アラスカには道路から4、5キロ離れた森の中に住んでいるような人も多い。もちろん車は入って行く事はできず、交通手段は歩き、4ウィーラー、犬ぞり、スノーマシーン、カヌー等に限られる。知り合いにそう人が何人かいる。その人は以前スノーマシーンを使っていたのだけど、途中で故障やトラブルがあると、命に関わる時があるので今では信頼性の高い犬ぞりを使っている。





 今日は競技の犬ぞりだが、犬達、マッシャーがゴールを目指して1つになって走って行く姿が美しい。犬達の吐く息づかい、マッシャーのかけ声、そりが滑る音、それら全てが1つになるのだ。初めて見たときには感動し、鳥肌が立ったのを今でも良く覚えている。







 スタート前の犬達はレースを待ち望み興奮が抑えられないようだった。ある犬はジャンプし、ある犬は吠えた。スタートすると犬達は真剣に走る。ただ、ただ走るのだ。走るために生まれて来て、チームとして走れる喜びを噛み締め精一杯走っている。その姿は本当に美しかった。





*マッシャー 犬ぞり使い
*ハンドラー お手伝い もしくは 助手